MWC 平和の主日(2022年9月18日)

メノナイト世界会議(MWC)の平和委員会では、国連の世界平和デー(9月21日)にあわせて、平和の主日を毎年設けています。MWC加盟教会は、上記の日曜日、もしくは各教会にとってもっともふさわしい日に、平和を主題とした礼拝を行い、リソースを活用するよう勧められています。当ホームページでは、アナバプテスト/メノナイト系諸教会に限らず、日本語を用いるすべての人に広くリソースを紹介して、平和の祈りと礼拝に加わることを呼びかけます。

今年のテーマ
「混迷する世界にあって新しい創造となる」
困難や混乱、紛争の渦中で、私たちはどのようにして回復力を保つでしょうか。とてもキツい状況にあるとき、私たちはどのようによりよい状況に希望をもてるでしょうか。MWCの交わり(コミュニオン)にある人々が、困難な状況にあって神の新しい創造を実現していくさまを探究するため、このリソースをご活用ください。

聖句
マタイ福音書 5章
マルコ福音書 7章24~30節

  • 祈りの課題
  • 信仰のゆえに迫害を受けている、エチオピアおよび「アフリカの角」の人々のために
  • 政治が人々を分断させるこの世にあって、キリスト教徒が霊による一致と恵みを求め続けることができるように
  • 迫害を受けているインドの教会と奉仕者のために
  • 内戦化のミャンマーで、避難生活を余儀なくされる人々のために
  • コロンビアで、平和と正義と和解の器として働く諸教会のために
  • ウクライナの平和と正義のため、平和のために働くロシアの人々の勇気と忍耐のため、難民の安全が守られ歓迎されるように

イエスの回復と解放のメッセージ(マタイ5:3‐20)

イエスのメッセージが、権力や特権に都合のいいように解釈されることがあります。たとえば、「あなた方は地の塩…世の光である」という言葉をアメリカ文化の優勢と結びつけ、自由民主主義と経済的繁栄を世界にお手本として示すことがキリスト教徒の使命だ、という具合に。イエスが呼びかける「あなた方」という言葉を、単純に自分たち=アメリカのキリスト教徒と結びつけるから、山上の説教(ですら)が「アメリカがいちばん」という話になってしまうのです。

聖書の文脈を捉えて理解すれば、イエスが呼びかけた「あなた方」とは、イエスが「幸いである」と呼んだ人たちであることが読み取れるでしょう。それは、社会的実利をもたらすとは思われない人たち(柔和・憐れみ深い・心の清い)、幸福とは無縁に思われる人たち(心の貧しい・悲しむ・義に飢え渇く・迫害される)、イエスのためにののしられ、迫害され、悪口を浴びせられる人たちのことなのです。そして、そういう人たちが現状のままでい続けることが幸いなのではなく、慰められ、満たされ、神の子と呼ばれ、天の国に属する者とされることが幸いなのだ、とイエスは言います。現状を変革する神の国/支配の尊さを身をもって知ることができること、それが神に祝福されていることの意味なのです。

そうすると、「あなた方は地の塩…世の光である」という言葉も、「誰が」地の塩・世の光であるかではなく、「どんな場合に」地の塩・世の光となるかを示しているのではないでしょうか。地の塩・世の光という「特権」を限られた人たちに独占させるのではなく、イエスの祝福に応答して神の国の働きに参加する姿勢と行動が、「教会の」塩・光ではなく、全地の塩・全世界の光になるのです。

1980年代のはじめ、ボリビアの軍事政権が作成した「禁書リスト」には、山上の説教(マタイ福音書5~7章)が含まれていました。困った神学校は、マタイ以外の文書を教えたり、5~7章だけ飛ばしたり、外国から講師を招いたり(ボリビア人が読んだことにならないように)しました。抑圧は決して認められませんが、ボリビアの独裁者は山上の説教のメッセージを正しく捉えたからこそ、これを禁書にしたのでしょう。ナショナリズムに都合よく、イエスの教えを骨抜きにする教会よりは正直だったのかもしれません。

リソースの詳細はこちら(英文)
peace_sunday_2022_en_final_1_0.pdf (mwc-cmm.org)